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日本における車椅子テニスの歴史は車椅子バスケットボールなどと比べると、その歴史は浅く団体組織が作られたのが1986年、日本車椅子テニス連絡協議会が発足されました。1988年には日本車椅子テニスプレイヤーズ協会が設立され、同年、国際車椅子テニス連名に加盟、1989年、日本車椅子テニス協会が設立、1991年には日本車椅子テニス協会とプレイヤーズ協会を統一し、新日本車椅子テニス協会をスタートさせました。その後、全国をはじめ、中国、韓国において講習会を開催し、シドニーパラリンピックへの参加を果たしました。2001年にはNECマスターズへ選手が出場するまでになりました。また、キッズの車椅子テニスにも力を注ぎキッズプログラムを組むなど、キッズの車椅子テニスの成長も支援しています。
関東車椅子テニス協会をはじめ神奈川県、埼玉県、千葉県、福井県、大阪の車椅子テニス協会が開催する大会があります。シングルス、ダブルスの試合が行なわれ上位は表彰されます。オートレース公益資金の補助を受けて開催されるジャパンオープンには各国から優秀な選手が集まり熱い試合を繰り広げています。その他ジャパンカップや仙台オープンなど実力を試す機会は数多くあります。
アテネパラリンピックにおいては、車椅子テニス日本代表の斎田悟司選手、国枝慎吾選手が金メダルを獲得しました。これはアジア人初の快挙です。欧米では広く浸透している車椅子テニス。一般の人たちと一緒にプレーする姿はごく普通のことです。日本ではまだまだそこまで浸透してはいませんが、その人気は広がりつつあります。
車椅子テニスは2バウンドの返球が有効である以外は、ラケットやボール、コートは一般のテニスと同じルールです。アップダウンテニスといって立位の人とのダブルスを組んだテニスもあります。この場合、車椅子のプレイヤーには車椅子テニスのルールが、健常者のプレイヤーには健常者のルールが適用されます。また、障害が重度の人と軽度の人が同じ土俵にならないようにクラス分けがなされています。上から順にオープン、A、B、C、Dとなっています。さらに四肢マヒクラスとして、クァドクラスがあります。どんな重度の障害を持っていても公平にテニスができるチャンスが用意されているのです。
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